〜言の葉の部屋〜

仮初の聖闘士 29



「本当に今日は珍しいことばかりだな。お前が自分の過去を語るなど」
「そういえば、そうだな。尤も、誰も聞いてこない事をわざわざ自分から話す必要は無いだろう?」
 今の様に聞かれたら、答えられる範囲で答えはする。
 だが、聞かれもしないことをベラベラと喋る趣味は生憎と持ち合わせちゃいない。
「ならば、一つ聞かせて欲しい」
「答えられる事なら構わんが」
「・・・名を呼ばれるのは苦痛か?」
 唐突に。
 何を聞きたいのかと思えば、予想もしない問いがシオンから発せられた。
「以前、デスマスクに聞かれたのだがな。お前が名を大切だと言いながらも苦しそうな表情をしていたのだが何故だか知っているか、とな。私は何も知らぬ故、答えてやることが出来なかった」
 そう言われて思い返せば、デスマスクが器の名を呼んだことは無かった。
 そしてシオンもまた、必要最低限でしか器の名を呼びはしない。
 子供たちの中にも、数名は器の名を呼ぶ率が低い。
 オレは・・・気を使われていたのか。
「苦痛というよりはオレの失態を思い出すだけだ」
「失態、とは?」
「この器を選んだことだ。オレは・・・親元で育てられる器を選ぶつもりはなかった」




 遺棄された新生児。
 まさか、それを捨てていった女の親族が探しに来るとは思いもしなかった。
 オレが入った事により鼓動を取り戻した器を、大切に抱え上げたのは女の兄にあたる存在だった。
 流石にこの状態で何をする訳にもいかず、そのまま連れられた先に居たのは憎悪の感情を向けてく女。
 女は器に【シン】と名付けた。
 お前は生まれてきた事が罪なのだとの意味を持たせた名。
 だが、兄にどの様な字を書くのかと尋ねられ【信】と書くのだと答えた。
 誠実なモノに育つようにと付けたのだと、兄に対して述べていた。
 それから数日、女とその兄の話を聞いている限り、この器に父親と呼べる存在は居ない。
 遺伝子上では存在するが、望まれて出来たモノではなく、女が気付いた時にはもう堕胎する時期を逃してしまっていたが為に医者へと行くことも出来ず、人知れぬように生み落とし遺棄したらしい。
 女の行動がおかしいと訝しんでいた兄が普段は人が立ち入らぬ場所へと向かう女を付け、念のためにとあたりを探ったところ器を見つけ、息があった為に慌てて女の元へと連れてきたのだが・・・自分が生んだことは認めても父親に関することは兄に対しては一切口にしなかった。
 女は兄がいない時に、まるで呪詛の様に器に恨み言を呟き続ける。
 それでも、殺したいほど器が憎いわけではないらしい。
 ジッとその目を見つめると、泣きそうな顔をしながら器から離れてゆく。
 器の成長に必要な食事やら下の世話やらも、兄に文句を言われない為かも知れないがきちんと行われており、器は人間の成長速度に見合った育ち方をしていた。
 尤も、女が何もせずともオレが中にいる限り器が壊れることはないのだが。
 だが、女と器、それに時折訪れる女の兄との生活はそう長くは続かなかった。
 女は器の遺伝子上の父親に対する憎しみを捨てられず、器に対しても憎しみを消すことは出来ずにいた為に、オレも女を遠ざけるようになった。
 女の兄はそんな女とオレの距離を感じ取り、自分の子でも無いにも関わらず器に対して愛情を向けてきていた。
 女に対しても、器に対しても変わらぬ愛情を。
 その様が女は気に食わなかったのだろう。
『あたしはその子がいるだけでこんなに辛いのに、どうして兄さんはそんな子を可愛がるのよ!』
 女の感情が壊れたその時。
 女の兄は、その生を終えた。
 そして女もまた、自らその生を終えようとしていた。
『優しくされて、簡単について行ったあたしが馬鹿だったんだけどね。でも・・・あの男の血を引いてると思うと、アンタを愛するなんて出来なかった。アンタが生まれなければあたしはあの男の事なんて忘れることが出来た筈なのに、アンタは生まれてきた。あの男の罪の証として。けど、兄さんはそんなアンタに優しくした。あたしの子だからって』
 このまま、女は息絶える寸前まで恨み言を紡ぎ続けるのだろうというオレの予想は、女の死の直前に裏切られた。
『・・・兄さんと連絡が取れないと解ったら、きっと誰かが此処に来るから。アンタはそれまで生きてなさい・・・ごめんね、シン』
 そしてその生を終える直前に、初めて器に向けられた感情。
 肉親である兄にさえ向けられた刃は、器に向けられることは一度もなかった。
 殺意さえも。




「この器は女が憎み、その兄が愛し、最後に母親から慈しまれた。だがな、シオン。考えてもみろ。オレがこの器を選ばなければ、女は兄を殺し自分も死ぬという道を選ばずに済んだ。そう思わないか?」
 呼ばれるたびに、女を苦しめ続けてきた事を思い出し。
 呼ばれるたびに、女の兄の懸命さを思い出し。
 呼ばれるたびに、その最後を思い出させる。
 オレのモノではない、器の名。
「デスマスクには言ったんだが、本来名を持たないオレには器の名であっても大切な名であることに変わりはない。そしてオレはこの器を使っている限り、あの兄妹の事を記憶の奥底に押し込めてはならないんだ」
 だから器の名を全く呼ばれないというのは困るのだと伝えれば、シオンは複雑な表情をしていた。
「お前が城戸に厳しい理由が分かった気がするな」
「キドに?」
「父親のいない環境での母親の負担。それを感じていたであろう城戸の子供たちに、お前のいた状況を重ねたのではないのか?」
「そのあたりの事はオレでも良く分からん。何せ、女がオレを疎んでいた時は、オレも女を疎んでいたからな」
 あの兄妹の命が尽きた後。
 オレは女の言葉には従わず即座に器を成長させ、他のモノが来る前にあの部屋から去った。
 存在する筈の子供、それも赤ん坊がいなくなった為に、妹が兄を殺したように見せかけた第三者による殺人誘拐事件として扱われ、そのまま未解決となったが・・・それで良かったと思えたのは女が最期に向けた感情が原因だろう。
「さて、この話はこんな所で良いか?」
「構わんが、子供らが同じことを聞いてきたらどうするつもりだ」
「如何すると言われても、今の話を聞かせてやるだけだ。アンタに話してアイツ等に話さないってのは出来ないからな」
「ならば、私が以前デスマスクに問われた様に子供らから問われた場合は?」
「話して構わないに決まっているだろう。別に隠すことじゃない。案外オレでも失態はあるのだと知れば、セイントの役目を考える上で硬くなり過ぎずに済むかも知れないな」
 セイントとしての志が高いことを悪いとは言わない。
 悪いとは言わないが・・・セイントであっても人間であることに変わりはない。
 人間が失敗をするのは当たり前の事なんだが、アイツ等はそれを恐れている節がある。
 オレが回されている任務を全て熟してしまっているのも原因なんだろうが、硬くなりすぎると返って失敗するモノだ。
「あぁ、そうだ。シオン、サガの最初の任務に関してなんだが」
「・・・その顔は何か企んでいるな」
「企むとは心外だな。まぁ、多少は此処の連中に文句を言われる可能性はあるが」
 だが、役目を果たすようになったサガにとってマイナスになるような事をさせる訳じゃない。
 マイナスどころか、旨くいけばセイントとしての活動も楽になる筈だ。
「詳細は聞かせて貰えるのだろうな」
「アンタに話すのは構わない。他言無用だがな」
 シオンは納得さえすれば漏らすようなことはしないから話しても構わないんだが、知るモノが多くなれば何処からアイツ等の耳に入るか分かったモノじゃない。
「それは今後も使える手か?」
「何とも言えん。サガ達が気に入られれば、話し合いの場を設けるくらいは可能かも知れんがな」
 シオンに反対されたとしても、サガが最初の任務を受ける日まで   誕生日まではまだ時間がある。
 交渉した奴らには悪いが、まぁアイツ等も暇だからと受けたようなモノだし、駄目なら駄目で問題は無いだろう。
 尤も、この手以上にサガ達の助けになるような存在なんてこの世界にいるのかが問題なんだがな。




← 28 Back 星座の部屋へ戻る Next 30 →