黄昏の来訪者 第01話
教皇の間はいつに無く、ざわめき立っていた。
突如、聖域の上空に現れた漆黒の闇。
当初は小さな点に過ぎなかったそれは時間が経つにつれ徐々に広がり、空を覆いつくさんばかりに広がっている。
同様の現象が過去に無かったか。
先代も含めた全ての黄金聖闘士がアテナの指示により動いたが文献を調べても見当たらず、先代達が知るロストキャンバスとも違っている。
「新たな聖戦の幕開けとならなければ良いのですが……」
三界による不可侵協定が結ばれ、やっと訪れた平穏。
アテナの胸を不安が過った。
誰も対処を取れず、その場で見守るしか無い状態のまま1時間、2時間と時間だけが過ぎ去ってゆく。
各々の視線は上空の闇から逸らされる事は無く、聖域中から人々の不安気な気配がアテナには伝わってきていた。
どれ程の時間が過ぎただろうか。
闇に覆われていない空が夕闇に染まる頃、突如変化が訪れた。
広がり続けていた闇が収束し始める。
何が起こるのかと目を凝らしていれば、収まりつつある闇の丁度真ん中辺りに闇とは別の小さな影。
「あれは一体……」
聖闘士の視力でも確認出来ない程の小さな影はその場から動く気配がない。
広がっていた時とは比べ物にならない速さで収縮していた闇が殆ど消え、空の色が戻るとその小さな影が人の形をしているのが解る。
「動かない、と言うよりは動けない様子だな」
「あぁ。それも2人か」
目を細め、懸命に人影を見極めようとするアイオロスの言葉にシジフォスが答える。
シジフォスの目でもはっきりと捉えられている訳ではないが、人影はどう見ても2つ。
「サガ、何とかなりませんか?」
いずれかの神の闘士かと警戒していたアテナだったが、動きを見せないどころか動けずにいる者に対して助けの手を差し伸べる事が出来るなら助けたいと考え始めていた。
そして聖闘士もまた一部の例外を除いてではあるが無慈悲ではない。
だが。
「お心は解りますが、手の打ちようがありません」
烏を操ってアテナを攫った白銀聖闘士は居たが、現在は聖域を離れて任務に当たっている上に烏があの高さまで上がれるかどうかという懸念点もある。
気温・気圧などが地上とは違う場所にさらされ、人影達がどれだけ耐えられるかは解らないが……あの高さから落ちれは例えそれが黄金聖闘士であったとしても命は危ういだろう。
何か手はないかと思案に暮れていれば消えたと思っていた闇が再び聖域の上空に広がり始める。
但し今度の闇は一気に広がり、次の瞬間にはまた目視出来なくなる大きさまで縮小してしまう。
「また、何か出てきたみてぇだな」
マニゴルドの言葉の通り、その一瞬で人影は数を増やしていた。
懸念の材料が増えたか、と聖闘士達が考え始めると同時に後から出たと思われる他の人影よりも大きな人影はその身を揺らし始めるとその身を他の人影と共に空へと投げ出した。
心中でもするつもりか。
誰が見ても自殺行為にしか見えなかったのだが、人影は段々と大きくなり、自分達へと近付いてきているのだと解る。
そしてその場に居る者達の予想に反して、何事も無かったかの様に火時計の上へと降り立っていた。
人影は4つ。
誰もがその眼を疑った。
その内の1人は此処に居る者達が最もよく知っている人物と同じ姿をしていた。
そう、アテナの代行でもある教皇と同じ姿を。
「ふざけているのか、とは言い切れないな・・・」
黄金聖闘士達を混乱させている原因は他にもあった。
皆の視線が一様に同じ人物に集まる。
「アレは・・・オレらの方か?」
「だろうな。オレとエルシドはそうでも無かったが、アルバフィカはオレらと一緒に行動したりはしなかった上に人を寄せ付けなかったからな」
毒を持ったその体質故に、自分から人を遠ざけていた。
幼い頃にあの火時計の上に居る者達の様に、傍まで近づいた記憶は皆無に近い。
「となれば、だ」
「あの教皇は・・・」
火時計にいる幼い頃の自分達に似た存在が向ける信頼しきった視線。
もしあれが自分達なのだとすれば、その相手は1人しかいない。
教皇シオン、ではなく・・・シオンを殺して教皇の座についたサガ。
彼について行こうと決めたのは、丁度あの年頃だった。
教皇と黄金聖闘士ならばこちらに気付けば何がしかの動きを見せるだろうと様子を見る事30分。
その間、火時計の上の教皇らしき人物はアテナ達を見る事は無かった。
アテナ陣営もただ彼らの様子を観察していた訳では無い。
指向性の小宇宙を送り念話で話が出来ないかと先代、当代の黄金聖闘士達が試みたのだが一向に教皇らしき人物は反応を見せずにいる。
「誰でも構いません!とにかく、片っ端から小宇宙を送りなさい!」
自らの小宇宙も無視され少々荒れ始めているアテナ。
そこでデスマスク達はアテナの言う教皇らしき人物に対してではなく、幼い頃の自分達に似た者達に小宇宙を送る事にした。
すると程なくして火時計の上に変化が訪れる。
幼い頃の自分達に似た存在が教皇らしき人物に何かを話しかけ、此方を指さしていた。
「成功、ってことで良いのか?」
「返事が返ってこない以上、何とも言えないがな」
「あの年頃だと・・・念話はまだ苦手だった記憶があるな」
『すまぬがその通りだ』
「「「!?」」」
唐突に聞こえた声に3人は視線を火時計へと向けた。
聞いた事の無い声。
勿論、念話である以上、実際に鼓膜を経由して伝わってくる声とは違っている。
が、自分達の予想した人物
サガが念話で話したとしてもこの様なイメージの声にはならない。
その上、今の自分達の会話は念話には乗せていなかった。
「・・・まさか、この距離で聞こえてるって事はねぇよな?」
『聞こえておらねば会話は成り立たぬであろうよ。何か用があったのでは?無いのならば』
「いや、ちょっと待ってくれ!おい!アイツと繋がった!」
「何!?このシャカに出来なかった事を何故、蟹如きが・・・」
「今はテメェに構ってる暇はねぇんだよ!いや、アンタじゃなくて・・・ってこっちの状況解ってんだろうが!は?こっちの状況など知らない?ふざけんじゃねぇよ!声は聞こえてんだろうが!!」
この盛大な独り言を理解出来ているのは、この場では同じ人物からの声を受けているシュラとアフロディーテだけだった。
相手の声が聞こえていない面々はデスマスクが喧嘩を売りつけているのではないかと、心配でならない。
「話が出来る相手ですか?」
「はい。私とアフロディーテにも同じ声が届いていますが、敵意があるようには思えません」
アテナの問いかけにシュラが答えると、アテナは一度瞼を閉じ、何かを決意したかのように再びそれを開いた。
「では、此方に来て聖域に来た目的を聞かせて下さい、と伝えて下さい」
「アテナ!?」
教皇の姿をしているとはいえ、正体不明の存在をここに招き入れる。
その危険性をアテナとて考えなかった訳ではないが、アテナは目の前にいる存在から敵意を感じない事から受け入れることにした。
「・・・敵意を懐かずに貰えるならば、此方に来る事も出来ると申しています」
「敵意をですか?」
「警戒心を懐くのは自分達の現状を鑑みれば理解出来る、と。ですが、あまりにも強い敵意を持たれた場合、何もせずに済ませる自信が無いとも申しています。彼は・・・どうやらサガでもシオン様でも無いようです」
警戒心を向けてくれば警戒心を。
敵意を向けてくれば敵意を。
そして殺意を向けてくれば・・・その相手を殺してしまうのだと、火時計の上の存在は伝えてきていた。
「随分と変わった方の様ですね」
「自分でもどうにもならない性質なので理解して欲しい、と申しています」
シュラは伏せたが、理解出来ないのならば此方からは用は無いので構わないで欲しいとまで言ってきている。
デスマスクとアフロディーテにもその言葉は聞こえていたが、シュラ同様にアテナに伝える事はなかった。
どうしても、あの幼い頃の自分に似た存在と彼らが信頼する存在が気になるのだ。
それを確かめる為には彼らに此処に来てもらう以外に手段がない。
「皆さん、宜しいですね」
「異論は御座いません」
教皇の間に会している一同が頷くのをアテナが確認する。
「あのな、サガ。言い難いんだけどよ・・・表情を取り繕っても感情は解る、ってアイツが言ってんだが・・・」
「アイオロスとシジフォスもだ。自分から敵対するつもりは無い、と言っている」
「カルディアとミロ、それにデフテロスは闘志を抑えて欲しいってさ」
デスマスク、シュラ、アフロディーテに名指しされた者達をアテナが見つめる。
「・・・私の言葉を聞いてまして?」
「申し訳ございません・・・」
デフテロスは腕を組みつまらなそうに鼻を鳴らすだけだったが、他の5人はアテナの言葉に頭を垂れた。
「一度懐いた気持ちを抑えるのは難しい事です。ですが、あちらには争う意思は無い様子。穏便に済ませる事が出来るのならば、その方が良いのではなくて?」
「私共も頭では理解しているのですが・・・」
サガがアテナから火時計へと視線を戻せば、教皇らしき人物は他の3人から何かを言われているのが見て取れた。
「・・・アテナ。埒が明かないので取り敢えず此処に来るそうです」
この距離をどう移動するのかと、教皇の間に居た者達が考えていれば火時計の上の人影は1つになっており、教皇の間の中央に近い場所に3人の人物が現れていた。
「すまんが、其処を退いてくれるか?」
現れた人物に気を取られていれば、今度は背後から声が聞こえてくる。
慌てて振り向けば、いつの間にか火時計の見える窓辺に教皇の装束を纏った存在が現れていた。
場を開ければ部屋の中央に現れた少年達が教皇の装束を纏った存在に駆け寄ってくる。
「騒がせてすまんな。私達も目的があって此処に来た訳では無いのだが、直ぐにこの世界から消える事もかなわぬ身。故に放っておいて貰えると助かるのだが」
「この世界、ですか?」
「そうさな。信じられぬやも知れぬが、私とこの子らは此処では無い聖域から次元の穴を抜けて此処へと落ちたに過ぎぬ。手は打ってきたので道さえ開く事が出来れば直ぐにでもこの世界から消えよう」
「次元の穴・・・それでは貴方達は・・・」
「この世界、いや、次元に属するモノではない。私とこのシュラが落ちる時に向こうへと繋がる導を残して来ている。それを使えば2〜3週間もあれば戻れるであろうよ」
聖闘士達には理解し難い話ではあったが、神であるアテナには理解する事が出来た。
神々の間でもカズムと呼ばれる正体不明の次元の裂け目が話題に出る事が神代にあったのだ。
それは人の間では原初の神と混同される事もあったが、何故その様な現象が発生するのかを説明出来る者は神の中にも誰一人いなかったとアテナは記憶している。
「貴方は神族なのですか?カズムを自在に操るなど、人に出来る事ではありません」
そして神々の間でカズムと呼ばれそれを故意に開く事が出来る者は神族にも居なかった。
「私にも自由に操る事は不可能。だが、今回は私の力とシュラの髪の毛で糸のようなモノを作り、それを私達のいた次元に結び付けて来ている。その糸と次元の修正力
己の次元に属するモノを取り戻そうとする力と逆に属さないモノをはじき出そうとする力を刺激するだけの事」
簡単に言ってのけているが、同じことをアテナが出来るかと問われれば否であった。
それと共に、目の前の男がカズムの意味を理解している事に驚きを隠せない。
「この様な不審な現れ方をしたと言うのに烏滸がましいのは解っているが・・・この子らだけでもその間、此処においては貰えぬだろうか」
「教皇!?」
「アンタ、何勝手なこと言ってんだよ!」
「俺達も世話にならずとも何とかすると先程言った筈だ」
「だがな・・・」
少年達に教皇と呼ばれた男が口籠っていると、教皇の間の扉が勢いよく開かれた。
「沙織さん、なんか皆此処に集まってるって聞いたんだけど・・・って・・・え、あれ・・・サガもシオンも居るし・・・アスプロスも・・・居る。じゃあ・・・セージ様!?」
「星矢、あの3人って誰かに似てる気がするんだけど・・・」
「似ているどころの話ではないな」
「カミュ、これは一体・・・何が起きているのですか」
入ってきた星矢達は目の前の事態が理解しきれずに目を丸くしている。
尤も、この場で現状を理解出来ているのはたったの4人しかいないのだが。
「少年。私はセージという名では無い」
「へ?じゃあ、あんた誰なんだよ」
「あぁ・・・そういえば名乗ってはいなかったな」
「って、ちょっと待て!」
徐に教皇の装束を纏った男がその特異な兜を外そうとすれば、男と共にいた少年の1人がそれを無理やり抑え込んだ。
「アンタはそのままで居ろ!」
「確かに、顔を見せない自己紹介は失礼に当たるだろうが」
「物事を平和的に解決するには今は教皇のままの方が良いと僕達は思うんだけど?」
「・・・そうか?」
「「「そうだ」」」
3人の少年に反対されると男は大人しくその手を兜から外した。
その様に何をやって居るのかと呆れた視線がいくつか向けられたが、当の4人は綺麗に無視をしている。
「えっと・・・此処って僕達のいた聖域じゃないんだよね?」
「あぁ」
「なら、アンタの事バラシても問題無しって事だよな?」
「そうなるな」
「ならば、あとは俺達に任せろ」
「この様な時くらいは私を頼って欲しいのだがな」
それは無理だという少年達の言葉に、男が気落ちしたのは誰の目にも明らかだった。
「オレはデスマスク。でこっちがシュラとアフロディーテ。オレ達3人は黄金聖闘士でアンタ達が一番警戒しているコイツは教皇のシン」
「シン?」
「それが彼の名前。で、彼が言うには此処は僕達のいた聖域とは似て異なる場所。それも僕達の居た時代よりも少し先の時代って事なんだけど・・・」
「そこにいるのは未来の俺達で良いのか?」
視線を向けられたデスマスク達は少年の言葉に素直に頷いた。
同じ名である事からも、否定のしようが無かったからでもあるが。
「で、ちょっと聞きにくいんだけどさ・・・サガって・・・此処で何かした?」
少年デスマスクの問い掛けに、サガの顔色が蒼褪める。
そして、それを知っている者達は困惑の表情を見せていた。