偽りの教皇 09
あの日から器の調子が多少おかしい。
「・・・少し休むか」
窓から外を覗けば人影は見当たらず、死角にも気配は無い。
今なら此処から出ても大丈夫だな。
サガが来た時の為に書置きを残し、オレは執務室を抜け出す事にした。
教皇宮から跳び下り、森の中の余り人の来ない泉の畔に腰を下ろす。
其処で器の中に力を巡らせれば、やはり微かな違和感があった。
「・・・何なんだ・・・これは・・・」
確実に器中に散っているこの違和感が原因だと解っているんだが・・・不快ではない。
しっくりこないと言うだけで機能的な問題は一切無く、オレが違和感を覚えている事すら誰も気付いていない事だろう。
この違和感を覚えるようになってから違う事と言えば・・・目を閉じて休む時間が増えたのと、意識体であるオレが意識を保てない眠りを取る様になった事くらいだ。
まるで・・・器の内側から休めと言われている感じがしてならないんだが・・・
「・・・考えても仕方がないな」
傍に在った大木に背を持たれかけて瞼を閉じ、周囲への警戒だけを残して器を休ませる。
よく考えれば・・・殺意を向けられた時もオレは一瞬にしろ意識がない事になるのか。
ならばオレが意識を失うほどの感情が向けられていると言う事か?
殺意とは別の強い感情、か。
そんなモノが・・・
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「・・・コイツ等は・・・」
オレは確かに周囲を警戒していた。
いくらコイツ等が相手でも気付く筈なんだが・・・いや、それよりコイツ等は仕事をどうしたんだ?
「随分と良く寝ていた様だな」
「サガ・・・お前まで居たのか」
「気付かなかったのか?」
「あぁ。まさかセイヤ達の気配にすら気付かないとは・・・教皇としては失態だな」
見ればデスマスク、シュラ、アフロディーテと言ったオレを見つける事が得意なヤツ等以外にもゴールドセイントの下5人やアイオロス、ブロンズセイント達にマリンやシャイナと言ったシルバーセイントが数名。
何をしに来たのが知らないが、一様に眠っている。
「全く・・・無防備にも程があるな」
「人の事は言えないだろう。私が肩を揺すっても起きなかったのだからな」
「・・・また意識を無くしていたのか・・・オレは・・・」
「ただ眠っていただけだろう?」
眠っていただけ、か。
お前達ならそうなのだろうが・・・
「器とはいえ人なのだから、睡眠をとらずに済む方がおかしいのだと私は思うが」
「【人】と言ってもオレの力が全身に巡っているからな。神経構造などは普通の人とは違ってしまっている。ただ・・・」
「ただ?」
「あの日から器の中に違和感を覚えてならない。器の中を巡る力を阻害・・・と言うほどではないが邪魔されているような感じが・・・な」
「・・・ならば、邪魔をしているのだろうな。無理をするな、と」
何か知っているのか?
オレがそう口にする前に、サガは呆れたような溜め息を吐くとあの日の事を話し始めた。
「貴様の出血量は相当なものだった。ムウが傷口を塞ぎはしたが心臓も止まっていた」
「それはそうだろう。増血機能は故意に止めていた」
「故意に、だと?」
・・・どうやら、地雷を踏んだか。
此処に寝ているヤツ等が居なければ、怒声が降ってきてもおかしくない状況だな。
「器を死なせるつもりだったからな。そうしなければ力の影響で無尽蔵に血液が作られてしまう便利な身体なんだ。だから・・・止めるしかなかった」
「・・・そうか。だが・・・だからこそ今、貴様の身体を休ませる要因がその身体の中に入る機会を得たのだから一概に怒れんな」
「まるで違和感の正体を知っている口振りだな」
「・・・血、だろう」
「血?」
「今の貴様の中には私達、あの場に居た聖闘士から供された血液も混ざっていると言う事だ」
あぁ、輸血したと言う事か。
「全員のとなると・・・そうか、この器はAB型だったのか」
「思う所はそこか?」
「器の血液型なんぞに興味を持った事は無かったからな」
何人か既に起きているようだが・・・いつまで寝たふりをしているのやら。
オレとサガの話しが終わったとして、素直に起きれるのか?お前達は。
「だが・・・そうだな。これで納得出来た」
「何がだ」
「違和感を排除しようとしない自分にだ。さて、オレは執務室に戻るが・・・後は頼んで良いな?」
「叩き起せば良いだろう」
「教皇の私が昼寝をしていだのだ。コヤツ等だけ叱る訳にもいくまい。サガも今日は休め。後は私一人でも問題ないのでな」
土埃を掃い、兜を被れば教皇としての発言になるのでサガも逆らう様な事は無い。
「それと私を休ませようと思うのは構わんが、昼間は避けて欲しいものだな。今日の様に、深く眠るつもりも無いのに眠ってしまっては執務にも支障が出かねん」
寝たふりをしている全員に言っているんだが、何人が意味を理解してくれたのやら。
ピクリ、と僅かに動いたヤツは身に覚えがあるのだろう。
「・・・失えんな・・・」
何が、と言う問いかけが返って来る事は無い。
声が届く距離には既に誰も居ない。
「・・・今の此処には護るモノが多すぎる・・・」
アテナの前で紡いだ言葉に偽りがある訳では無い。
戦いとなれば、オレは真っ先に相手の首を取りに行くだろう。
そして今の自分で駄目ならば、封じた力も惜しげなく使うだろう。
だが・・・この器の中に流れる血を、オレを生かそうとした想いを失いたくはない。
無傷で戦い抜ける自信は無い。
傷付く事を恐れていては、全ての力を振るう事は出来ない。
「・・・どうしたモノか・・・」
振り返れば、寝たふりをしていた数名がサガに起こされている最中だった。
さっさと起きずに聞き耳を立てていた事を咎められているのだろう。
遠目にオレの姿に気付き、罰が悪そうな顔をするモノもいる。
意識を失うほどの強い感情が向けられている訳では無かったのだと、サガの話しで気付いた
オレの中にアイツ等の一部が混ざった事で、アイツ等の感情が今まで以上に伝わってきていたに過ぎないのだと。
無理をするな、体を休めろ、と只々オレを心配しているアイツ等の声が。
「戦いの最中に・・・流れて来なければ良いのだが・・・」
1人で戦場へと向かえば、心配するなと言うのは無理な話だろう。
死ぬな、という想いだけなら構わない。
だが怪我をするな、無理をするな、と願われたなら。
そんな戦い方は・・・オレには一つしか思いつかない。
「・・・無に帰すような行いは・・・好かないのだがな・・・」
オレの願いで生まれたモノ。
心がある為に、オレの望んだ通りにならなかったモノ。
心を操る事は出来ずとも・・・その存在を消す事は出来る。
生じさせた時と同じように、只々、願えば良い。
消えろ、と。
生じさせた時と同様に、強く強く願えば
その存在は消える。
遥か昔・・・たった一度。
それが誰で、何故そうなったのか覚えていないが・・・消すしかない、と思った事があった。
オレが消したと言う事実以外を、その存在を忘れたのも・・・オレが消したのが原因だと望んでから気付かされた。
そいつが存在していた事実を全て消してしまったのだと。
そいつの今までを全て無にしてしまったのだと。
二度とそんな殺し方はしないと誓い、己を赤く染める事にした。
だが・・・例えそれが結果的に己に嘘を吐いた事になろうとも・・・
「アヤツ等に望まれれば・・・誓いなぞ簡単に破りそうだな、私は」
「何のだよ」
「一人で何を考えている」
「今日は有り得ない事ばかりだ。私達の気配に全く気付かないなんて」
誰も聞いているモノなど居ないと思って口にしてたってのに、コイツ等はいつの間に来たんだか・・・どうせなら聞いてみるか。
「・・・お前達は・・・私が人の存在を消せるとしたらどうする?」
「消す?殺すんじゃなくてか?」
「殺すのではなく、存在そのものを・・・今、其処に居たと言う事実すら無くなる」
「そんな事まで出来るのか」
「望めば、な」
「私は貴方がその力を使う時はやむを得ない時だけだと思うから、何とも思わない」
「例え使った所で、態度を変えるような者は今の聖域には居ない」
「だよな。アンタ程、存在に拘るヤツが簡単にそんな力を使う訳がねぇし?聖域の為にって自害するような馬鹿教皇が、今更何しようが驚くヤツがいるかよ」
人にとっては強大過ぎる力の筈なんだがな。
コイツ等にとっては関係無いのか。
あれ程・・・出会った当初はオレの力を恐れていたってのに。
「ならば頼みがある。私が単身敵陣へ行こうとも、傷付くな、無理をするなとは願うな。勝って帰れ、生きて帰れと・・・それだけで私は必ず此処へ戻る」
「は?戦場で怪我すんなって方が無理だろ?アンタ・・・頭、大丈夫か?」
「そんな事を願うなら馬鹿な教皇を止めた方が早い」
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけれど、此処までとはね」
「下のモノが居る場で教皇を幾度も馬鹿呼ばわりするモノが何処におる。この馬鹿者共が」
話に集中していて今度はコイツ等が気付かなかった様だが、後ろからはコソコソと後を付けてきている気配が幾つもあった。
最初にコイツ等に後を追わせたのはサガだろうな。
オレがコイツ等相手になら弱音を吐けると判断したんだろう。
流石は教皇候補って所か。
・・・失えないな・・・
自分よりも、補われた血液よりも・・・此処に居る存在達を。