黄昏の来訪者 第07話
「で、何を不貞腐れてんだよ。テメェは」
巨蟹宮。
そこには双子では無いかと見間違える程にそっくりな2人の姿があった。
一方が問いかけても、もう一方は答えようとしない。
「コイツが不貞腐れる原因と言えば、あの教皇の事しかねぇだろうが・・・」
そしてもう1人。
先の2人と似た容姿であるが、若干年上に見える人物が姿を現す。
その手には3つのグラスとワインボトルがあった。
彼が
別次元の蟹座の黄金聖闘士であるデスマスクが此処に彼らの教皇に関する愚痴を言いに来るのは最早日常と化していた。
聖域の空が一面闇に覆われ、其処から彼ら4人が姿を現し、彼らの次元へと戻った日から既に約半年が経とうとしている。
もう2度と会う事ないだろう、と別れを惜しんだりもしたのだが・・・あの教皇は何処か抜けていた。
次元の穴
カズムを刺激する為の力が大きすぎ、開いた穴が塞がらなくなってしまったのだった。
それだけならば誰も落ちない様に蓋をして封印するなりなんなりすれば良いだけの話しだが、共に来た3人の子供に甘いあの教皇は彼らの【聖闘士としての】相談相手に丁度良いだろうと、向こうと此方の穴に扉を設け、子供達が行き来出来るようにしてしまっていた。
勿論、当初は空の上にあった此方側の穴の位置をアテナ像の隣に移動させ、3人の少年に危険が無い様にして。
連日の様に訪れる子供達に対して、当初はそんな頻繁にこっちに来ても良いものかとアテナを含め一同悩みもしたが、教皇が次元の穴に細工をしたことが判明してからはその成長を見守る事にした。
教皇の細工
時間の捩じれ。
子供達が相談したくとも、いざという時
アテナが聖域に戻るまでの10年もの時間が経ってしまうと此方では退位する黄金聖闘士も出て来る可能性があるだろうからと、彼方の次元でその日が過ぎ、此方の時間と同じ月日になるまでは一度訪れると向こうで何日、何か月、何年経とうと此方では前回開いた翌日に繋がる様に。
これにはアテナも一種の恐れを懐いていた。
己には彼の教皇と同じことをしろと言われても無理であり、それは彼女の父や叔父を含めた神族にも不可能であろう。
唯一、時間を司るクロノスならば時間を操る事は可能やも知れないが、カズムに関しては此方も不可能である。
だが、同時に多少の安堵も懐いていた。
あの3人の黄金聖闘士が存在する限り、向こうの世界の平和は例え自分が
アテナが戻らずとも保たれるであろうと。
と、そんな経緯もあり、彼方の少年達は相談相手に困ると此方へと姿を見せ、相談と言うよりは教皇に対する愚痴を言っては帰っていく。
短期間に成長する様を見るのには違和感を覚えはしたが、それなりに楽しくもあった。
「・・・勝手に消えやがったんだよ」
そして出会ってから半年にも満たないというのに、既に【蟹座の少年】は此方の蟹座と同じ年になっていた。
「「消えた?」」
彼らを置いてあの教皇が聖域から居なくなる。
そんな事は此方の聖闘士達にも想像出来る筈が無かった。
彼らの為に神にすら恐れを懐かせる力を迷うことなく使ったあの教皇が消えるなど。
「オレらの目の前で塵になって消えちまったんだよ!あのバカが!」
此処までの怒りを露わにするのは珍しい事だった。
自分達が彼方の状況を知るのは彼らの言葉からなので何時も事後である事に変わりはないが、以前、彼の教皇が自殺を図った時も、つい先日己の腕を自分で引き千切ったと聞かされた時も、怒りと言うよりは呆れの方が強く、此処まで純粋な怒りだけを見せては居なかった。
「何でアイツだけが背負わなきゃならねぇんだよ!オレ達はそんなに頼りねぇってのか!」
「・・・頼りねぇってよりは、護りてぇだけだろ」
言葉と共にため息が零れる。
目の前に居るのは別の道を辿った自分自身。
他人に弱みを見せ。
捻くれた考えを持たず。
悪に染まらずに、真っ直ぐに育った場合の自分自身。
以前、この巨蟹宮に溢れていた己が殺した者達の無数の死に顔も彼の宮には無いだろう。
己のこれまでの人生を否定するような事はしないが、目の前の存在には己の様に聖闘士の道を外れ、聖衣に見放されるような選択を選ばせたくは無いと思っている。
そんな彼が解らない訳がないのだ。
彼らの教皇の行動の真意を。
此方の教皇
シオンがアテナの為に、地上の平和の為にと敵の配下に降り、聖域に拳を向けると言う汚名を自ら着た様に。
己よりも大切な者の為には、己の名誉も命も捨てる事が出来るのだと言う事を。
「話してみろや。聞くだけなら聞いてやるからよ」
遥か上
磨羯宮と双魚宮からも荒れた小宇宙が感じられる。
彼ら3人が揃って此処にくるなど、それこそ初めて会った時以来のことだった。
彼方から来た蟹座の黄金聖闘士は気持ちを落ち着かせようとあった事を淡々と、それでも時折語気を荒げながらも彼らの次元の聖戦の事を語り始める。
話を聞かずとも彼の怒りの矛先が教皇では無い事は解りきっていた。
教皇にそんな手段を選ばせてしまう事しか出来なかった自分に対して怒りを覚えているのだと。
己の感情の整理をしたいが為に、此処に来たのだと言う事も。
「・・・あ〜、なんつうか・・・お前も気付いてんだろうけどよ・・・結局、帰って来るんだろうから、そん時に面と向かって文句なりなんなり言ってやれば良いんじゃねぇのか?」
事の成り行きを聞いたデスマスクに言えたのはそれだけだったのだが、目の前にいる自分と同じ顔をした存在は何故か目を見開いて驚いている。
「まさか、気付いてなかったのか?」
マニゴルドの言葉に彼方の蟹座の黄金聖闘士は首を左右に振った。
「いや・・・まさか、アンタらがそんな事言うなんて思って無かった、つぅか・・・」
「「あの教皇の性格からしたら当然だろう」」
たった2週間程度の付き合いだが、彼の教皇が彼らをどれだけ大切に思っているかくらいは理解している。
その上、話を聞けば向こうのシオンを蘇らせるつもりだった事も解る。
「あの教皇は約束は絶対に破らねぇってオレらに言ったのはテメェだろうが」
「それにお前らの仲間も皆、教皇の事待ってんだろ?」
彼方の蟹座の黄金聖闘士は再び首を左右に振った。
「オレ等以外は教皇の本質ってヤツを本当の意味で解っちゃいねぇからさ・・・特にサガなんて
」
「私がどうかしたのか?」
背後からの唐突な声に3人揃ってビクリと肩が揺れた。
「すまない。声を掛けたんだが返事が無かったのでな。それで、私がどうかしたのか?」
「いや、アンタじゃなくてオレ等の方のサガの事。教皇が態々目の前で消えたのは憎しみの対象はこの世から消えたって自分に見せつける為だ、なんつう変な考えしてやがんだよ。んなわきゃねぇだろってんだ」
「そちらの私は・・・あの教皇に憎しみを懐いているのか?まさか、殺された時の事を?」
「あ?もしかして海皇との戦いの事聞いてねぇの?」
彼方の蟹座の黄金聖闘士が他の2人に聞けば、話していないと言う返事が返って来る。
元々、此方の次元へと来るのはあの時の3人のみ。
ともすれば立ち寄る場所も巨蟹宮、磨羯宮、双魚宮と限られている。
そしてどの宮の主も聞いた話をおいそれと他人に話して聞かせたりはしないでいた。
彼方の蟹座の黄金聖闘士がかいつまんで話を聞かせれば、サガの眉間に深い皺が刻まれる。
「なるほど、な。一つ言わせて貰えば、お前達の所の私も海皇との戦いの際の教皇の想いには気付いているだろう」
「気付いてたら引き籠りなんてしねぇだろうが」
彼の教皇の想い
己を慕う者達を護る為ならば力を惜しまぬとアテナに向けた言葉。
その対象には魂の状態であったとしても10年以上の時を共に過ごしたサガも入っている。
「気付いているからこそだ。勿論、生きていたカノンを目の前で殺された事はショックだっただろう。だが、私はこれでも自分勝手な性分だ・・・それこそ、己の中の悪を周囲に悟られたくが無い為に、指摘してきたカノンをスニオン岬に閉じ込める程にな。そちらの私が私と同じならば、こう考えるだろう。相手がカノンであると知った上で覚悟を決めたと言うのに、何故邪魔をするのか。肉体は持たずともお前達と同じだけの時を共に過ごしたと言うのに、お前達程に信頼されていなかったのか。私は教皇にとって護るだけの
弱い存在でしかないのか。一度ならず二度までも己の尻拭いをさせまいとたった1人の肉親と対峙したと言うのに、何故最後まで任せてくれなかったのか、とな。そして信頼していた相手から信頼されていなかったという絶望は
それを齎した者への憎しみへと変わり・・・己の言動が齎した結末を受け入れたくが無い為に、全ての責任を相手へと転化する。全ては教皇の責任だ、とな」
サガには覚えの有りすぎる感情だった。
周りからもその実力を認められ、次期教皇は己だと自分自身も疑わずにいた頃。
確定した話では無いと言うのに、教皇がアイオロスを指名した瞬間に隠してきた負の感情の全てが溢れ出した。
勝手に相手に対して期待を懐き、自分の望み通りにいかなければ裏切られたと思い、嘆き、恨み、憎む。
理不尽だがそれが人と言うもの。
「そちらの私も解っているのだ。これはただの逆恨みに過ぎない、小さなものでも構わないから切っ掛けさえあればこの昏い思いは心の奥底に閉じ込める事が出来るだろうと。そんな時に・・・心の整理をしている間に相手が目の前で消えてしまった」
消える時、彼の教皇は笑みを浮かべていたと彼方の蟹座の黄金聖闘士は語っていた。
まるで其処に居る全ての者を目に焼き付けるかのように視線を動かしながら、酷く悲しげな、それでいてある一点を
双児宮を目にした時に満足しているかのような笑みを浮かべていたのだと。
「私ならば・・・私が同じ状況に立ったならば、その様な笑みを見せられては私の為に消えるのだと受け取ってしまうだろうな。そして何故、その様な笑みを最後に見せる相手に対して憎しみなどを懐いてしまったのかと再び思い悩むだろう。言葉にして確認する事もせずに何故憎しみを溢れさせてしまったのかと。今、閉じ籠っているのもお前達に会わせる顔が無いからだろうな。聖域から消えたくとも、聖闘士としての役目を捨てれば教皇から再び与えられた生を無駄にすることになってしまう。だが、自分勝手な憎しみを懐いている自分が聖域に居る以上、教皇は私を憎みたくないが為に戻りたくとも戻れない。消える事も存在する事も許されないならばどうすれば良いのか、と思考の迷路に填まり込む。己の胸の内を打ち明けられないが為に燻り続ける憎しみを懐きながらな」
「・・・っちゃいえねぇ」
サガの言葉が終わるや否や、小さな呟きが聞こえてきた。
視線を彼方の蟹座の黄金聖闘士へと向ければ、その手は細かく震えている。
暫くしてその震えが止まると、彼の眼には更に強い怒りの色が浮いていた。
「時間取らせて悪かったな」
「帰るのか?」
「あぁ。今の話聞いて、サガが何も解っちゃいねぇ事がはっきりと解ったからな」
だから共に来た2人を連れてサガの許へ行くのだと、彼方の蟹座の黄金聖闘士は言う。
「私が解っていない・・・?」
「そうだよ。己惚れてる訳じゃねぇが、きっとアイツに一番信用されているのはオレ達3人だ。一番甘やかされてるのもオレ達だ。何せ・・・オレ達に殺しをさせたくねぇってだけで、自分で処理しちまってたんだからな。其処から考えりゃ解るだろ?アイツにとってサガがどの位置に居たのかがよ。アイツが誰の為に教皇続けてたのかよく考えろってんだ」
自分達3人の為ではないのだと、言外に彼は語っていた。
彼の教皇は彼方のサガの為に教皇を続けているのだと。
「ま、考えても解らねぇからああなっちまったんだろうけどな。それにアイツはあの時、サガも海龍と一緒に殺してやるつもりだった。兄殺しも弟殺しもさせたくねぇ、心を闇に染まらせたくねぇからってな」
信頼していなかった訳では無い。
大切に思っている相手だからこそ、再び闇に染まる姿を見たくは無かった。
その弟も、闇に落としたくは無かった。
だから殺す事にした。
極端な考えだが、彼の教皇は人では無い。
故に【人として】の概念を外して考えなければ、彼の教皇の真意を知る事は出来ない。
「それとよ。あんたらに話して、1つ思い出した事があってな。オレの記憶が正しいのか、老師とムウに確認しなきゃならねぇんだよ」
彼の前から消える直前に聞かされた彼の教皇の言葉。
記憶違いで無ければ【傷付いたモノを癒し、聖域への脅威を無くす為の効率の良い手段】だと言っていた。
聖域への脅威
冥界軍。
【人】ならば肉体を失った時点で何も出来ないであろうが、彼の教皇は肉体を失った状態こそが本性なのである。
器に居る間は封じている力が
星々を生み出し、神すらも生み出す力が今の状態の教皇にはあるのだ。
「やる事がはっきりしたならさっさと帰った方が良いに違いない」
マニゴルドの言葉に頷き返すと彼方の蟹座の黄金聖闘士は勢いよく駆け出して行った。
その後姿を見つつ、誰ともなくため息が零れる。
「・・・デスマスク、マニゴルド。良かったのか?」
「もうこっちに来るな、なんて言える状況じゃ無かっただろうが」
彼らが自分達の次元に帰ってから今日まで。
幾度もなく話し合いが行われていた。
あの扉は封じるべきではないかと。
それは彼の教皇の力を危惧しての事では無い。
常ならば有り得ない次元の行き来を行い、あの3人の黄金聖闘士に、そして彼の教皇に何がしかの負担が掛かっているのではないかと言う懸念から上がった話だった。
幾度も行き来している姿を見る事でその懸念は無くなったが、今の状況は異常である。
そんな議論の中で、拙い事があればあの教皇がきっと止める。
黄金聖闘士達を前にしてそう口にしたのはアテナだった。
そして巨蟹宮、磨羯宮、双魚宮に居をなす者達。
彼らにとって年の近くなった今でも、彼方の黄金聖闘士の3人は年の離れた弟の様な存在であり、先を見守りたい存在である事に変わりはない。
だが反対する者の方が多く、結果として向こうの情勢が落ち着く様を見せたなら、相談相手は必要無くなるだろうと、時機を見てもう来ない様に伝える事になっていた。
なっていたのだが、先程の様に此方に来る事で解決の道を見出す姿を見てしまうと何も伝える事が出来ずに帰してしまう。
まだ彼らには心の内を明かす事の出来る場所が必要だからと。
「こっちだってオレ等が生き返ったり、200年以上前の黄金聖闘士が十二宮に住み着いてたりすんだからよ、今更別次元の黄金聖闘士の3人がうろついたって問題ねぇだろ」
自然の摂理に反した存在が、同じようにこの世界の摂理に反した者達をとやかく言う事は出来ない。
このデスマスクの言葉も幾度聞いた事か。
「それによ」
デスマスクが向けた視線の先には一冊の本があった。
立ち上がり、その本を手に取ると今は聖衣箱へ収められている蟹座の聖衣へと視線を移す。
もし彼の教皇がもう一度此処に来たならば、確認したいことがあった。
「コレ、書いたヤツが解るかも知れねぇだろ?」
宝瓶宮でその主にすら存在を忘れられ、封じられていた馬鹿げたタイトルの本。
内容が偽りでは無い事は解っている。
が、著者となっているこの世界の人物は書いた覚えが無い上に記載されている内容も知らないと言っていた。
そこに別の次元からの来訪者の存在。
彼の教皇がその人物の名を借りて書き、彼らと同じ様にカズムから落ちてきた可能性もある。
そして彼の教皇がこの書の本当の著者であるならば。
聖衣と意思を交わす事が出来るのならば。
一度で構わないので己の聖衣の思いを聞いてみたかった。
何故、一度見放した自分を嘆きの壁の前で己を纏う者として呼び出したのかと。
「サガ、アンタも向こうの自分が立ち直れるか気になってんだろ?」
「・・・気にならないと言えば嘘になるな」
「でしたらサガ、もう少しだけ見逃してくれませんか?」
背後から聞こえた少女の声に振り向くなり、サガは膝をついて頭を垂れる。
「今日は何の御用で?」
「彼方の貴方が良い表情で戻って行かれたので、何があったのか気になりまして・・・あら、良い物をお持ちですね」
「良かったら、飲んでいかれますか?」
マニゴルドの言葉に頷き、アテナは使われることの無かった3つ目のグラスを手に取った。
いつの日か、自然と足が遠のく日は来るだろう。
その日が来るまでは、このままで。
己の意思で道を違えた自分達に出来る、贖罪を。
己の大切な者の為に自然の摂理を無視した、贖罪を。
罪を軽くしたいのでは無く。
もう1つの世界の自分達の。
もう1つの世界の聖域の。
流れが少しでも良くなるように。
それが、彼らと女神の秘かな願い。