Digression 巨蟹宮 ― 蟹座と蟹座と蟹座の聖衣
聖域に聳える十二宮。
その第四の宮【巨蟹宮】では日常となりつつある光景が繰り広げられていた。
聖衣のストライキ
。
本来ならば有り得ぬのだが、この蟹座の聖衣は一度デスマスクを見放している。
蘇った後、聖衣を再び身に付ける事は出来るようになっていたが、何かの拍子に纏えなくなる事が度々起きていた。
「アレとオレの何処が似てるんだよ」
「う〜ん・・・顔と髪型と体格?」
不満気に呟くマニゴルドには申し訳ないが、外見は対象の違和感がある程度。
口が悪い所まで似ているが、流石の星矢もそれは言わなかった。
「ったく・・・信じられねぇよな。聖衣がストライキ?聞いた事がねぇってんだよ」
アレが自分の何代か後の蟹座の聖闘士かと思うと、マニゴルドは頭が痛くなってきた。
その上、使える技は積尸気冥界波のみ。
蟹爪も鬼蒼焔も魂葬破も知らぬと言う。
マニゴルドも技に関しては仕方が無いと思う面もあった。
聖戦の度に多くの聖闘士が命を落とすのは常で、己とて更に前の聖戦でセージが生き残っていたからこそ身に付けることが出来たのだと言える。
自分達の代の聖戦でシオンと言う積尸気の使い手が生き残り、1つでも技が伝え残されていただけマシと一度は考えた。最も、マニゴルドにも出来ぬ転霊波をシオンが使ったと先日聞かされた時にはそっちも教えておけよと思いはしたが。
等と仕方の無い面もあるにはあるのだが・・・余りにも目の前のデスマスクが情けない。
今も今とて、聖衣に対して罵詈雑言を吐いている。
「・・・あのさ、今の状態の聖衣ってマニゴルドが呼んだらどうなるのかな?」
ふとした疑問を星矢は口にしてしまった。
マニゴルドとて元は蟹座の黄金聖闘士。
ならば、現在の持ち主の言う事を聞かない状態の聖衣がどういう行動をとるのか興味が湧いてしまったのだった。
「無理じゃねぇか?今のオレは冥闘士だしな」
結構今の生活を楽しんでいるので人間か冥闘士かはマニゴルドも気にならなくなっているが、流石に黄金聖衣を冥闘士が装着出来るはずが無い。
「それに結局はアレの所にちゃんと戻るんだからよ。オレが呼んだって来るわけねぇって」
と言いつつ、ふざけ半分でパチンと指を鳴らしてみる。
「「・・・あ」」
聖衣が動いた。
いや、正確に言えば、各部のパーツが自動的に分解し装着されてしまった・・・・・・マニゴルドに。
「あ゛ー!テメェ!何してやがんだ!」
聖衣と喧嘩をしていた男・デスマスクがマニゴルドに詰め寄る。
「蟹座の聖衣って面白いな!」
「面白くねぇだろ?」
「面白くねぇだろ!」
口調は違うが全く同じ言葉を放つ蟹座の2人。
困惑気味なマニゴルドに対して、怒りの治まらないデスマスク。
「早く脱ぎやがれ!」
「言われなくて・・・も・・・」
星矢はマニゴルドの頭上に「?」が浮いているような気がした。
「どうかしたのか?」
「・・・脱げねぇ・・・」
「「はぁ?!」」
「だから、脱げねぇって言ってんだよ!」
本当に何なのだろう、この黄金聖衣は。
星矢にも黄金聖衣が勝手に装着されたり、勝手に脱げたりの経験はある。
原因はアイオロスの魂とでも言うものが聖衣に宿っていたからなのだが・・・聖衣が脱げないという話は聞いた事が無い上に、アイオロスの様に宿る魂も無いと思われる。
「沙織さんに相談するしかないかな?」
「「アテナに?」」
蟹座の2人は怪訝そうに上へと続く階段に目をやった。
「「テメェはこの状態のままオレに上まで行けってのか?」」
ここは第三の宮。
先にはまだ8つも宮が控えており、口煩い面々が居る。
今の状態のまま通れば説教をされるのは間違いなく、デスマスクもマニゴルドも態々小言を自分から聞きに行く趣味は生憎持ち合わせていない。
「別にマニゴルドがデスマスクのフリをして、デスマスクがマニゴルドのフリをすれば問題ないじゃんか」
「「ばれるに決まってんだろ!」」
付き合いの余り無い者達の目なら誤魔化せるだろう。
しかし、そんなに付き合いの浅い者は此処には居ない。
中には気付きながら面白がって乗ってくる連中も居ない事はないが、変な事をすれば説教の時間が増えるだけである。
星矢は聖衣だけじゃなく持ち主も息が合っていて面白いな、と思いつつ代案を口にした。
「じゃあ、シオンを呼ぶとか」
アテナを呼びつける訳にはいかないが、シオンならば来てくれるだろうと星矢は考えた。
聖域の生き字引と言ってもよいシオンならばこの様な事態にも遭遇した事があるのではないかと。
因みに、聖域を不在勝ちな童虎は考えるまもなく星矢の思考から除外されている。呼べば来るかも知れないが、老師ならばいざ知らず、若くなった童虎はこの事態を楽しみかねない性格になってしまった事も除外の一因であった。
「出来れば誰にも気付かれずに内々に済ませてぇんだけどな・・・」
今は教皇とは言え、マニゴルドにとっては後輩に当たるシオンに頼るのは気が進まない。
「それによぉ、予定もねぇのにジジィが下りてきたら絶対について来るぜ。一番厄介な射手座の2人がよ」
聖戦も終わり、海界・冥界との間で結ばれた協定により嘗て無い穏やかな空気に包まれている聖域で、教皇が自ら動かなければならない事態は早々発生しない。
若返った肉体を維持する為に始めた鍛錬やら、気晴らしの散歩やら、休日やらは別として1人で教皇の間を離れる事は無いのだ。
生憎、今日は1人で出歩くような予定は何も入っていない。
この状況で教皇の間を離れるとなると、何かあったのかと勘繰られるのは目に見えている。
「・・・じゃあ、ちょっと待ってろよ」
何を言っても反対されそうなので、星矢は2人の返事を待たずに目的の人物の小宇宙を捜した。
目星をつけていた場所に居た為あっさりと見つける事が出来、指向性を持たせた小宇宙を飛ばす。
『どうした?星矢』
『氷河、頼みたい事があるんだけど今、良いかな』
『構わないが何かあったのか?』
氷河は星矢の予想通り、宝瓶宮に居た。
其処に氷河以外の小宇宙がない事を確認し、星矢は話を切り出す。
『聖衣に関する書物を探すのは構わないが、オレが調べるよりも』
『うん、言いたい事は解るんだけどさ。黄金聖闘士には解らないように調べたいんだ』
自分ではなく蟹座の黄金聖闘士が必要としている事はあえて伏せておく。
本人達が嫌がっている事もあるが、今回の事態を引き起こしたのは紛れも無く星矢の好奇心に刈られた一言なのだ。
『解った。しかし、此処にあるのは文献よりも読み物の方が多いぞ。余り期待するなよ』
『神殿の資料庫よりもそっちの方がありそうな気がするんだよ』
そのまま数分、氷河からの反応を待つ間も星矢の背後では2人の蟹座が何やら言い争っている。
余り大きな声は出さない方が良いんじゃないかと星矢は思うが、当の2人は声の大きさなど気にする様子も無い。
『星矢・・・』
『あ、無いなら無いでいいんだ。時間をとらせて』
『いや、何と言うか・・・』
小宇宙を介してではあるが伝わってくる氷河の口調から、該当する書物が無かったのだと思った星矢の言葉を氷河自身が遮った。
『あるにはあった』
『あったのか!』
『タイトルがふざけているんだが・・・読んでみるか?』
氷河が伝えてきたタイトルに星矢も一瞬読もうかどうしようか迷った。
【聖衣の気持ち 〜正しい聖衣との付き合い方〜】
とても真面目に書かれた書物とは思えないタイトルな上に何故か封がなされている。
『カミュが読むイメージが無いんだけど』
『作者が作者だから捨てる事も出来なかったんだろう。一番奥の書棚の最下段の隅にあったからな。今からもって行くか?』
氷河が自分を訪ねて下りてくる分には問題はないだろう。
『けど、封がされてるならカミュに許可取らないと駄目だよな』
『カミュならば天蝎宮にいらっしゃる筈だ。持って行くついでに聞いておこう』
『サンキュ!氷河。オレ、巨蟹宮にいるから頼むな!』
数分後、氷河が持ってきた本はシンプルな装丁な分、タイトルの怪しさを際立たせていた。
「星矢、カミュは好きに読んで良いとの事だ」
「悪いな氷河。で、コレって誰が書いた本なんだ?」
こんな珍妙なタイトルをつける人物が誰なのか。
氷河から聞かされてから星矢はずっと気になっていた。
「・・・シオンだ」
「シオン!?」
氷河が指差した部分を見ると確かに【著:教皇シオン】と書かれている。
「カミュは中身読んだ事あるのかな」
「タイトルを見て読む気が失せ、そのまま忘れていたらしい。ただ・・・」
「ただ?」
「シオン本人は書いた覚えが無いと言うことだ」
「ジジィが呆けただけだろ。さっさと封をあけろよ」
こんな怪しいタイトルを書いた本人が忘れるものだろうか、と星矢が本を手に悩んでいると、デスマスクが後ろから覗き込んできた。
「解ったよ」
星矢が封を破り、内容を読んでみるとタイトルからは予想も出来ない、真面目な内容が書かれていた。
聖衣にも意思が宿っている事を聖闘士諸君には認識してもらいたい。聖衣を唯の道具として扱っている内は半人前にも満たず、聖衣を己の意に従えようとしている内は一人前の聖闘士とは言えず。聖衣と意思が通じ合い初めて一人前の聖闘士と言えよう。聖衣の意思を受け取る事が出来れば、その力は今の二倍、三倍、場合によってはそれ以上の力が発揮されるであろう
。
「今より更に強くなれるのか・・・」
「鵜呑みにするのはどうかと思うが、聖衣に意思があるというのは面白い考えだな」
興味深げに読み進める星矢や氷河と違い、デスマスクは己と聖衣の状況は正しく聖衣に意思が無ければ起こり得ないのではと考え始めていた。
今までは最強の聖闘士の証としてしか聖衣を見ていなかった。
紫龍との戦いで己の身体から離れた時、嘆きの壁で聖衣が己の魂を呼んだ時は、アテナの意思だと思っていた。
だがそれらがもし、聖衣自身の意思なのだとしたら。
「チッ、毎日聖衣に見張られてるって事かよ」
己の考えが、態度が、言動が、黄金聖闘士に相応しいかどうかを毎日聖衣は判断していると言うのだろうか。
「かもな。ま、こいつがオレの最後の頼みを聞いてくれたのは事実だ」
氷河に気付かれぬ様、柱の影にいたマニゴルドがデスマスクにのみ聞こえる声量で話しかける。
師の思いと己の言葉を、聖衣は聖域にいる同士の許へと運んでくれた。
シオンからその話を聞かされた時、どれ程この聖衣に感謝した事か。
「世話になっといて全く感謝しないお前よりは冥闘士でも感謝したオレの方がマシって思っちまったのかもな?」
マニゴルドは意地の悪い笑みを浮かべると、試しに聖衣へと声を掛けてみた。
「お前はコイツをお前の聖闘士だと認めたんだろ?師匠やオレとは違うタイプで苦労するとは思うけどよ、コレでもコイツなりに頑張っちゃいるんだ。いい加減戻ってやれよ」
「・・・マジかよ・・・」
マニゴルドの言葉が終わると、あれだけマニゴルドから離れなかった聖衣はすんなりとオブジェの姿に戻ってしまった。
「ふざけたタイトルだってのに書いてある事は本当みてぇだな。よし、お前には師匠に代わってオレが蟹座の心得ってヤツを教え込んでやる。ありがたく思えよ」
「はぁ・・・面倒くせぇ・・・。けどまぁアンタの技を全部覚えられるってなら悪くない・・・か」
デスマスクの言葉に蟹座の聖衣が薄らと輝く。
「・・・頑張れってか?」
「いや、お前には無理だって事だろ」
「言ってろ。オレが本気になりゃ技の3つや4つ、直ぐに覚えてやるよ」
「技を覚えても聖衣に見捨てられた、なんて事にならねぇようにな」
言葉とは裏腹にマニゴルドの顔には何処かデスマスクに対する期待の様なものが浮かんでいた。
蘇った蟹座の聖闘士と仮初めの命を持ってこの世に現れた元・蟹座の聖闘士。
目の前で楽しげに本を読んでいる天馬星座の聖闘士との縁が、失われた蟹座の技を後世へと繋げる時間を齎した。
師から授かり己が途切れさせてしまった技をこの蟹座の聖闘士が次の代へと教え、さらにその次へと繋げる為の時間を。