偽りの教皇 21
器から解き放たれたオレはサンクチュアリを省みる事無く、次の目的地へと向かった。
意識体となった今、行けない場所は無い。
天界だろうが冥界だろうが。
そこへ行きたいと思えば、周囲の景色は変わっている。
ドウコからハーデスの事は聞かされていた。
神代から意識体として人の子を器にしているのだと。
そして己の肉体はエリシオンの奥深くに眠らせているのだと言う事を。
幾度にも渡るハーデスとの聖戦において、ハーデスを倒しきれなかった原因もそこにあるのだと。
冥界に降り立ったオレは誰に気付かれる事も無く、その最深部まで辿り着いた。
目の前にいると言うのに・・・悠長な事だな。
そこではハーデスと思われる意識体にハープの音色を聞かせる女の姿。
女の前を通り抜け、壇上にいるハーデスの意識体の前へと踊り出れば・・・その姿にオレは見覚えがあった。
ブロンズセイント・アンドロメダ星座の瞬。
彼の容姿に似たその姿にこれがハーデスで良いのかと考えてしまったが、ハープを奏で終えた女が「ハーデス様」と呼びかけ、それに意識体が反応していた。
・・・ならば、さっさと終わらせるか。
ハーデスにも女にも、何が起こったのかは解らなかっただろう。
己の力を封じる為に用いている力。
その力を応用して、ハーデスをオレの中へと封じる。
ポセイドンの壺や、魔星を封じた山の様な見える場所に封じてやる様な事はしない。
外からの力も内からの力も干渉できない場所。
そしてオレの意思が無ければ解ける事のない封印。
これでこの次元のアテナとハーデスの聖戦も終わりを告げる。
突然消えたハーデスの意識体に女が慌てふためき出したが、もう遅い。
広い部屋に女を残し、オレはエリシオンへと場を移した。
冥界とは思えない花咲き乱れる光の園には、ハーデスが消えた事に気付きもしないモノ達が居る。
あれがドウコの言っていたタナトスとヒュプノス
死を司る神と眠りを司る神か。
2人の目の前を通るが、やはり気付く様子は無い。
今ほど、誰にも認識する事が出来ない存在である事をありがたく思った事は無いな。
この広いエリシオンの何処かにハーデスの肉体が眠っているのだろうが・・・見渡せば花園の中に目立つ塔が視界に入ってきた。
壁をすり抜け、内部を探索すればあっさりとハーデスの肉体が見つかる。
成人した器に入るのは初めての事だが・・・神の肉体ならば人とは違い、壊れる事は無いだろう。
ゆっくりと少しずつ、力の塊であるオレ自身をハーデスの肉体になじませてゆく。
どれだけの時間を費やしたのかは解らないが、予想よりも早く器に入る事が出来た。
瞼を開き、腕を曲げ、上体を起こしてみる。
遥か昔、まだ人間が居なかった頃に人外のモノを器として使った事はあったが、これほどオレの力に馴染む器には出会った事がない。
この器ならば、人の器では使う事の出来なかった大きな力も使える事だろう。
「ハーデス様!」
「お目覚めになられたのですか!」
オレの
いや、ハーデスの姿を捕らえた死の神と眠りの神が慌ただしく近付いてくる。
「サンクチュアリはどうなっている」
「はっ、パンドラよりハーデス様が居なくなられたと連絡が入り、一時中断しております」
「ですが、その御身体をお使いになられると言う事はいよいよ地上を・・・ハーデス様?」
やっと違和感に気付いたか。
そう、オレはハーデスの肉体を得たがハーデスのコスモまでは発していない。
真似ようと思えば出来なくもないが。
「・・・全てのスペクターを集めろ」
「「畏まりました!」」
違和感を拭えずとも、オレの言葉を勘違いした馬鹿な神はエリシオンを出て、あの意識体であるハーデスが居た広間へとスペクター達を集めた。
此処からが楽しみだな。
己の主神が既に敵の手に渡っていると知ったならば。
「ハーデス様!その御姿は!」
ハーデスが本体で現れた事に歓喜を見せるスペクター達。
その表情は期待に満ちている。
今から地上に侵攻するのではないかと言う期待に。
「クッ・・・ハハハハハッ!」
「ハ、ハーデス様?」
「馬鹿が。ハーデスは既にオレの手の中だ。この器も、ハーデスの魂もな」
何を言っているのか解らないだろう。
いや、解りたくないだろう。
死の神と眠りの神でさえも。
「オレはこの器に入る以前は・・・サンクチュアリの教皇をしていた。サンクチュアリに乗り込んだスペクター達を一掃したのもオレだ」
「何・・・を・・・」
女の声が震えている。
「これ以上サンクチュアリに、ひいては地上に手を出そうとするならば・・・ハーデスの魂は永遠に封じられる事になる。無事に返して欲しければ、大人しく死者の管理をしている事だな」
「馬鹿な!ハーデス様がそう易々と封じられる訳が無い!」
最前列にいた3人のスペクターの内の1人が怒声を上げた。
「タナトス、ヒュプノス。神であるお前達は気付いているだろう?ハーデスのコスモがエリシオンにもこの冥界の何処にも無い事を」
「違和感の正体はそれ、か」
「貴様・・・聖域の教皇だと言ったな。大人しくハーデス様を返して貰おう」
「大人しくするのは貴様等だ。オレは別にこの器が傷付こうが死のうが構わない。そうなったら別の器に入れば良いだけの話だからな。だが・・・ハーデスの魂はオレ自身に封じられ、それはオレの意思が無ければ解ける事は無い。そしてお前達はオレの侵入に誰も気付けなかった。言っている意味が解るな?」
オレがこの器を出てしまえば、ハーデスの魂もまた見失う事になるのだと教えてやれば悔しそうな顔をする。
強くむけられてくる敵意と
。
「あぁ、忠告が遅れたが殺意を向けてきたヤツは死ぬからな」
主神を奪ったモノへの殺意。
広間のそこかしこに、首を失った胴体が立ち尽くしていた。
「ハーデス様を封じ、その御身体までをも奪って何を企んでいる」
「言っただろう。サンクチュアリに、地上に手を出すなと。それさえ守ってくれれば、冥界を壊すような事はしないと約束してやる。ハーデスの魂も気が向いたら解放してやるさ」
何千年、何万年先の話になるかは解らない上に、この次元で開放する気は無いがな。
「・・・貴様の名は」
「今は
ハーデスだな」
「ふざけているのか!」
死の神の問い掛けに真面目に答えてやったと言うのに。
まぁ、オレを知らなければ妥当な反応か。
「器の名がハーデスである以上、オレにそれ以外の名は無い。ハーデスと呼びたくなければ適当に呼べ。さて・・・取り敢えずはこのままサンクチュアリに行くかな」
「ハーデス様の御身体で勝手な事は」
「気にするな。同盟を結んでくるだけの話だ。冥界は地上への侵攻を行わない、ってな」
この器で出向けば、あの我儘女神も信じるだろう。
既にサンクチュアリは海界との同盟を結んでいる。
あの時に見た方法で行えば、問題は無い筈だ。
「我らが貴様の指示に従うと思うのか」
「好きにすればいいさ。己の主神の魂がどうなっても良いのなら、な」
「・・・下衆が・・・」
何とでも言えば良い。
オレを敵視している貴様等の言葉など、痛くも痒くもない。
「アテナの聖闘士の行いとは思えんな」
「死したセイントを手足に使ったモノの言う言葉じゃないと思うがな。尤も、オレはセイントだった事は一度も無い。ただ単に、成り行きで教皇をしていただけの話だ。あぁ・・・そう言えばアテナはオレを神族よりも上位の存在だと言っていたな」
「我らよりも」
「上位の存在、だと!?」
「そうだ。例えば・・・オレにはこんな事も出来る」
オレの内にいるハーデスから無理矢理コスモを引き出し、それを器の外へと放てばその場に居たモノ達の表情が凍りつく。
ある訳が無い。
こんな事が出来る訳が無い、と。
「お前達が煩くするなら、ハーデスからコスモを搾り取る事も可能だ。あくまでも主導権はオレにあるのだと覚えておけ」
「貴様・・・!」
「目に見える方法でなければ解らないか?」
同じ事を繰り返す事になるが・・・まぁ、これが一番解らせやすいだろうからな。
ブツリ、と肉の断たれる音が響く。
それを目にした女は悲鳴を上げ、スペクターたちは一様に呆然とし、ヒュプノスとタナトスは蒼褪めていた。
「今はこれで済ませてやる。次に反発するようなら目を抉り、耳を削ぎ、足も切り落とす。良いな?」
断ち切った肉を
ハーデスの左腕を治療の為の水晶ではない、ただの、腐乱させない為だけの水晶で包み、見せしめの為に広間の中央へと添える。
何も出来ないのだと思い知らされたスペクター達を残し、オレはサンクチュアリへと向かう事にした。
そこで、どんな感情が待ち受けているか、解った上で。