〜言の葉の部屋〜

光陰の迷い人 第02話



 私の話に真剣に耳を傾ける教皇シオン様と風鳥星座の聖闘士。
 シオン様を殺した後に私も殺された事。
 私を殺した者が私の代わりに教皇として聖域を治め続けた事。
 アテナが帰来した後も、その者がアテナに望まれその地位に付き続けていた事。
 その際に私とアイオロスが生き返った事。
 到底信じられぬような話を目の前の2人は疑いの言葉を発しもせずに静かに聞いていた。
「海皇ポセイドンが眠りから目覚めた折も、教皇は極力戦いを回避しようとしていた。だが、海皇の軍内に開戦を誇示する者が居た。それが・・・私の弟カノンだった」
「カノンが海皇の軍に居た、だと?」
「あぁ。私が死に追いやったと思っていたカノンは聖域に、そして私に対する憎しみを募らせ、海皇の海将軍として海龍の鱗衣を身に纏い私達の前に姿を現した。私はその小宇宙でカノンであると知り、また教皇も私の関係者である事を悟り、カノンとの戦いは私に一任すると言ったのだ!だと言うのに、教皇は私ではカノンを倒せないと判断し、カノンを殺した!」
 悔しさから声が自然と荒くなってしまった。
 私はそれほどまでに信頼に足る存在では無かったのだろうかと、思い出すだけで悔しさが湧き上がる。
 カノンが聖域に憎しみをぶつける原因となったのは私なのだから、私が責任を取らなければならないと覚悟を決めていた。
 今度こそ、この手を弟の血で染める事になろうともこの教皇の信頼を裏切ってはならないと。
 教皇も私が聖域を裏切る事は無いと信じて任せてくれたのだと思っていた。
 だと言うのに、教皇はカノンを挑発し、己へと殺意を向ける様に仕組んだ。
 私の決意を踏み躙り、私の弟の命を奪った。
「・・・それで?」
「私は私を裏切った教皇への憎しみを抑える事が出来なくなり、教皇もまた傷を癒す為にと和解をなした海域での養生をする事になった。その間にアイオロスやデスマスク達が私の説得に訪れて来たが・・・私は聞く耳を持たなかった」
 そして冥界軍の侵攻。
 教皇には知られない様にとデスマスク達が画策していたが、それは無駄に終わってしまった。
 あの教皇がデスマスク達に降りかかる災いを見逃す訳が無かったのだ。
 双児宮で目にした教皇はたった一言「カノンは元気だ」と私に伝えるだけで、私に対する憎しみをぶつけて来る事は無かった。
 人の感情を   自分に向けられる感情をそのまま相手に返してしまうのだと言っていたにも関わらず。
「教皇が私を憎まぬようにと、私の感情をそのまま返してしまわぬようにと距離をとっていた事はデスマスク達から聞かされていたが・・・あれ程近くに居てもそうして来なかった理由を知ったのはその直後だった」
 双児宮を抜け、巨蟹宮の手前で多くの冥闘士達の小宇宙が消えた後に教皇はデスマスクと共に再び双児宮を抜けて行った。
 私の事など見向きもせずに。
 私にはもう用など無いのだと言わんばかりに。
「・・・教皇は消える直前に、デスマスクでもシュラでもアフロディーテでもなく私を見て笑みを浮かべながら消えて行った。教皇は私に見向きをしなかったのではなく、自身が消えるつもりだったのだ!私は・・・憎んではならない相手を憎んでしまった・・・全ては己が原因だと言うのに、教皇を憎んでしまった!謝る機会すら・・・失ってしまった・・・」
 その上、気付いたら別の次元の聖域に居るとは。
 教皇もまた別の次元から来たのだと言っていた。
 ならば、これこそが私に課せられた罰だと言うのだろうか。
 後悔しながらも、その名を   教皇と聞いただけで憎しみを抑えられない私への。
「ふむ・・・このサガの世界の教皇はまるでお前の様な存在だな」
「だろうな。話を聞く限りじゃどうやらその教皇はオレだ」
 風鳥星座の聖闘士から発せられた言葉に耳を疑った。
 教皇が・・・この聖闘士だと?
 有り得ない。
 教皇は聖域に関しては何も知らずにいた。
 そしてこの聖闘士はシオン様を私が弑した事を知らなかった。
 この男が此処から更に私の居た聖域に落ちたとしても、教皇が此方に落ちたのだとしても矛盾が生まれてしまう。
「サガ、お前は教皇からこんな話を聞いた事はないか?」
 続けられたこの聖闘士の生い立ちとも言える話は、教皇がアテナを前に皆に聞かせた話と同じものだった。
 本来の自分は意識体であり、器を用いらなければ他者に認識される事すら出来ないのだと言う事も。
「今のオレには自分の力を封じる術があるが、それを覚える時までは只々自分の中に力が増していくばかりでな。ある時、その力に耐えられる器が無くなってしまった。其処でオレは、自分の力を分ける事にしたんだ・・・また独りになるのは嫌だったんでな。だが、オレは認識されずともオレの力の塊は誰かに認識される可能性があるだろう?だからオレは力を分けると同時にオレ自身を   オレの記憶と人格を力に付随させた」
「力に付随させた、とは?」
 その様な話を教皇から聞かされたことは無かったが、どうやらシオン様も初耳だった様だ。
「大元がオレであり今も核はオレだが、お前の所に居るオレは其処に居るオレとして動いている。解りやすく言えば・・・そうだな。このサガの次元の教皇とオレは一卵性の兄弟と言ったところか」
「教皇の・・・兄弟・・・?」
「一卵性の兄弟は卵子が分裂し、個をなした結果だろう?オレの場合は卵子ではなく意識体そのものが分裂したと考えてくれて構わない。其処から先は個の話ではあるが、分かたれてもオレはオレでしかない。尤も、元から器を持っている生物を違って1つに戻ろうとすれば戻る事も可能だがな」
 今の所、その様な予定は無いと目の前の男は語ったが・・・
「教皇は・・・戻るつもりなのかも知れない」
「は?オレが?」
 教皇にとって大切な存在が   あの3人が居ると言うのに、その器を捨てた。
 聖域との、私達との繋がりを捨ててしまったのならば。
「馬鹿か。お前は」
「なっ!」
 唐突に額に湧いた痛みにそれを齎した者へと視線を向ければ、教皇が時折見せていた優しい笑みを浮かべていた。
「何を勘違いしているのか知らんが、オレは親しかったモノから憎しみを向けられるなんてのは珍しい事じゃない。きっと、お前の所のオレにとってもな」
 人間とはそういう存在なのだと諦めたような表情で語る男を見るシオン様は悲しげだった。
 教皇も・・・人間に対して諦めを懐いている様な時があった。
 そうだ。
 私が憎しみを向けた時も・・・今のこの男と同じ様な目をしていた。
「お前は傷を負った教皇の姿を見た時に何を思った」
「何を・・・?」
 光に包まれ、体中から血飛沫を上げた教皇。
 その様を前にして・・・
「心配したんじゃないのか?憎しみを忘れて」
「それは・・・」
 あのような姿を見れば、当然の事だろう。
 あの後、デスマスク達から聞かされた。
 教皇の身が突然あのような状態になったのは・・・聖域中の負傷した者達の傷をその身に引き受けたからだと。
「ずっと憎しみを向けていたお前が心配してくれたんだ。そりゃ嬉しくなって笑いもするさ」
「それだけの事で、か?」
「それだけ?違うな。オレにとっては向けられている感情が全てと言っても良い。何せ、相手が自分を見てくれている証だ。例え負の感情だとしても、何も向けられないより・・・気付かれないままだった頃と比べれば遥かに良い。だから・・・出来る事ならば、殺意を向けられたとしてもその相手を殺したくは無いんだ」
 殺したくは無い?
 ならば何故、教皇はカノンが殺意を向けてくるようにと挑発をしたのだ。
 私が何を言いたいのか解っているとでも言いたげに、そう口を開きかけた私の動きを目の前の男は掌を私に向ける事で制した。
「だが、人にとって最も重い罪は殺人だ。それも肉親を殺す罪が人の世では一番重いのだろう?その罪を親しい誰かが背負う事になるなら、オレはそいつの代わりに相手を殺す道を迷わず選ぶ」
 この男の言葉が真実ならば。
 この男が教皇と同じ存在だと言うならば。
 教皇は・・・私に弟殺しをさせない為に、私の代わりに殺したと言うのか・・・
「まぁ、先にも言ったように親しかったモノに恨まれるのも憎まれるのにも慣れている。それでも・・・例え負の感情をオレへと向けてこようとも・・・一度懐に入れた相手に対してオレ自身はそんな感情を向けたくは無い」
「お前の本質は冷淡にして過保護だからな」
「煩いぞ、シオン」
 冷淡にして過保護。
 シオン様の男に対する像は、そのまま教皇に当てはまった。
 デスマスク達に聖域の闇を背負わせない様にと殺害依頼の全てを己で処理していた教皇。
 そしてデスマスク達に向けている姿とは正反対の   まるで子供が何も考えずに蟻を潰すかのように冥闘士達を始末した教皇の姿。
「全ては・・・私の為・・・?」
「そういう事だ。お前の所にいるオレはお前を裏切った訳じゃない。ただ・・・己が口にした言葉を忘れてしまう位、お前に弟殺しをさせたくなかっただけの事だ。お前の所にいるオレは、ずっとお前に対して無関心だったか?」
 言われて思い出す。
 教皇は・・・無関心どころか、何かにつけて蘇った私とアイオロスを気にかけていた。
 聖闘士としての務めも慣れるまではと聖域内でのものばかりを振り、剰え黄金聖闘士最年長である私達を末の子扱いしていた。
「人間から見ればオレは矛盾ばかりを孕んだ存在に思えるだろうが、それは人間の常識に当て嵌めて考えるからに過ぎない。かと言え、サンクチュアリに人間の常識があるかと言えば答えは否なんだが・・・」
 言葉を濁す男の言いたいことは解る。
 教皇も言っていた事だ。
 地上の愛と平和を守ると言いつつも、其処に暮らす者を   守るべき対象を殺さなければならない時があるのが聖闘士。
 それは聖闘士と同じ人間に対しても行われ、この男の言う【最も重い罪】を正義の名のもとに行使する。
 今考えれば・・・聖域で一番【命】の重みを理解していたのは其処に居る人間の誰でも無く   教皇だった。
「・・・考える猶予はまだある。此処に居る間に心の整理を付ける事だな」
 此処に居る間・・・だと?
 ならば・・・ならば私は・・・
「帰る事が・・・出来るのか?」
 教皇と同じ様に次元の穴に落ちたのだとしたら、もう帰れない可能性が高いだろうと考えていた。
 謝る事すら出来ず、他の者達に何も残す事も出来ずに姿を消したまま、これから先をこの世界で暮さなければならないのかと思っていた。
 それこそが私に課せられた罰なのだろうと。
「本来ならば幾らオレでも不可能だ。アンタの次元を知らないからな」
「・・・そうか」
「本来なら、と言っただろう。オレが自分の居る次元も掴めないと思うのか?」
 自分の居場所くらいは探せば見つける事が出来るのだと、男は軽く言ってのける。
 シオン様もその男の発言を否定する事なく、私に頷いて見せた。
「・・・世話を掛けてすまない」
「気にするな。今更、面倒を見る相手が1人増えた所でどうと言う事は無い。それも短期間だしな」
 先程までとは違い、シオン様が男の視線から顔を逸らす。
 男の視線に入らない様にされているが、正面に居る私からはその罰の悪そうな横顔が見えてしまった。
 私の知っている【教皇シオン】様とこの世界のシオン様では雰囲気からして全く違っている。
 それもこれも・・・この男の存在が在っての事なのだろうが・・・私は・・・変わる事が・・・出来なかった・・・
 13年前から何も成長していない。
 次期教皇に私を選ばなかったシオン様が悪いのだと考えたあの時と。
 これでは・・・教皇に子供扱いされても仕方が無い。
 戻れると言うのならば、此処に居る間に少しでも変わる事が出来るだろうか。
 教皇と同じ存在であると言う風鳥星座の聖闘士の許で、少しでも教皇を知る事が出来るだろうか。
 この世界のシオン様の様に。



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